アイデアの着想から特許出願まで

2.化学分野

1.どこまで完成させれば特許出願ができるか

 特許出願をする際には、特許請求の範囲に記載されている発明を実施するための形態を少なくとも1つ記載する必要があります。発明を実施するための形態については、(1)新規物質の発明、(2)組成物の発明、(3)製造法の発明、(4)化学物質の用途の発明によって、記載すべき事項が異なるので、注意を要します。また、発明を実施するための形態に加えて、化学関係の出願では、通常、実施例を記載することが必要になります。

(1)新規物質の発明の場合

 新規物質の発明では、物質の特定、物質の製造法および物質の有用性の3点を説明する必要があります。

[1] 物質の特定
 新規物質の特定は、原則として、化合物名または化学構造式で行います。高分子物質の場合は、原則として、繰返し単位、配列状態、重合度等で特定します。
 新規物質に関する出願では、物質の製造条件と得られた新規物質を特定するための物性値が必要となります。このような物性値としては、1H-NMR、13C-NMR、融点、元素分析、IR、UV、X線回折等のデータが挙げられます。新規物質の構造が特定されていれば、数多くの物性値を測定する必要はなく、1種類のみであってもよいとされています。
 なお、構造は特定できないが、新規物質(特に高分子)を得たと考えられる場合、構造式を用いることなく物性値で物質を特定することが可能です。
 物質を特定する物性値等の条件としては、分子量、一定濃度の溶液の粘度、旋光度、モノマーの種類、屈折率、弾性率、密度、有用な性質、製造条件等があり、これら複数の条件を組み合わせて物質を特定することができます。

[2] 物質の製造法
 第三者が容易に実施できる程度に製造法を明確にします。出発物質や製造工程を説明する必要があります。製造条件の説明は、当業者であれば本発明の化合物を合成できる程度の詳しさが必要です。特に、発明の対象である新規物質の製造法は、入手容易な出発物質から特定します。
 また、特許請求の範囲に記載された全ての化合物が製造できることを要します。

[3] 有用性
 新規物質に関する発明は、物質の構造を特定し、かつ、その有用性を明らかにした時点で完成したと考えられます。
 有用性は、予測される有用な性質を明細書中に少なくとも1つ記載すればよいとされています。審査において類似化合物を示す先行文献が出てくる可能性もあるので、進歩性を証明することができるように、本発明化合物の実証データを開示しておくのが好ましいです。
 新規物質が製造中間体である場合には、最終物質への経路、最終物質の有用性も記載し、例えば、参考例として最終物質への製造例を記載できるように準備をしておくのが好ましいです。

(2)組成物の発明の場合

 一般的に、組成物を構成する成分、配合割合、状態、性質、用途等を特定します。
 組成物は2以上の成分を含んでおり、各成分の配合割合を特定する必要があります。
 組成物が新規物質を配合成分として含む場合には、上記(1)新規物質の発明の場合と同様に、物質の製造法および有用性を特定します。
 組成物の状態としては、粉体混合物、有機溶剤系または水系、溶液、ペースト、エマルジョン、サスペンジョン等を記載します。
 組成物の性質としては、例えば、紫外線硬化性、導電性、耐熱性、接着性等を記載します。
 組成物の使用法としては、例えば、塗料組成物の場合には、塗装方法、硬化条件等を記載します。
 組成物の各成分が公知であるが、組成物としては新規である場合、または組成物自体が公知の場合、組成物がある用途に有用性を有することを示すデータ(実施例)が必要です。

(3)化学分野の製造法の発明の場合

 製造法の発明は、出発物質、製造工程、生成物を把握する必要があります。
 特に、化学物質の製造法の発明の場合には、出発物質、製造工程、目的物、製造工程の具体的条件(各原料の使用割合、反応温度、反応圧力、反応時間、触媒・溶媒の種類と使用量、添加順序、反応装置、単離・精製法等)を記載し、この製造法により目的物が製造できることを明らかにする必要があります。
 特許請求の範囲に記載された製造法の出発原料が新規物質の場合、明細書中に公知の出発物質からの製造法の記載を要します。
 新規物質の製造法の場合、新規物質の有用性が記載されていれば、該物質の製造法の有用性も肯定されます。公知物質の製造法の場合、公知の製造法に対して、収率が高い、製造工程の数が少ないこと等の製法としての有用性を記載する必要があります。

(4)化学物質の用途の発明の場合

 
化学物質が特定の用途に有用であることを初めて明らかにした場合、化学物質の用途に関する特許権を取得することができます。
 用途は、物の発明の形式(例えば漂白剤)または方法の発明の形式(例えば衣類の漂白方法)で特定しますが、いずれの場合にも、ある化学物質が特定の用途に有用である使用条件および有用性を示すデータを用意する必要があります。
 例えば、漂白剤Aの水溶液を用いて衣類を傷めることなく漂白できたことを特徴とする発明の場合、特許請求の範囲を[1]漂白剤A、[2]漂白剤Aの水溶液、[3]漂白剤Aで衣類を処理する漂白方法のいずれの形式で特定しても、漂白剤Aの水溶液の濃度、衣類の単位重量当たりの漂白剤Aの量、衣類を漂白剤溶液に浸漬する時間、適用可能な衣類の種類等の条件を特定し、且つ、汚れを付着させた衣類を漂白剤で処理し、衣類の漂白ができたことを示す実施例を準備する必要があります。

(5)実施例について

 できるだけ広い特許請求の範囲で権利化を望むには、その範囲をサポートする実施例をできるだけたくさん準備することが理想です。
 しかしながら、出願期限が迫っているのに準備した実施例が少ない場合は、とりあえず、準備できた実施例で出願し、1年以内に実施例を補充して、国内優先で再度出願することが好ましいです。

2.特許出願にあたって整理しておくべき点

 化学分野の発明では、従来技術との差(特に、構成上の差および効果上の差)を明確に特定します。

(1)構成上の差

 有機化合物の発明では、基本骨格の化学構造の相違を明確にします。置換基を広くした場合、公知化合物を特許請求の範囲に含めないように注意します。
 無機化合物の発明では、元素の種類・組合せ、結晶構造などの相違を明確にします。
 組成物の発明では、成分の種類、各成分の配合量、用途等の相違を明らかにします。
 化合物の製法の発明では、原料の違い、原料を反応させる工程の順序の違い、反応条件(触媒、溶媒、反応温度等)の違い、単離・精製法(分液、ろ過、蒸留等)の違い等の相違点を明確にします。

 (2)効果上の差

 どの構成に基づいてどのように効果が異なるのかを明らかにします。例えば、以下のように記載します。
[1] 化学構造上、従来のアルキル基をアルコキシ基に代えると、薬効が向上し、毒性が低下する。
[2] 洗浄剤中のアニオン界面活性剤をノニオン界面活性剤に代えると、洗浄効果が高まる。  
[3] 製法の発明で、特定の保護基を使用すると、反応の選択性が向上する。
[4]特定の反応溶媒を組み合わせることにより、生成物の単離・精製の効率が向上する。
 なお、効果の評価は、通常、数値データを用いて行います。官能試験等のように、数値データを記載しない場合であっても、例えば、「○」「×」のような二者択一の評価よりも、「A」「B」「C」「D」「E」のような多段階での評価をする方が、引用例との比較、クレームを減縮補正に役立つことが多いです。

3.広い権利取得への発想の手掛かり

 発明は構成要素の集合(結合)ですので、1つ1つの構成要素をより広く捉えることによっても、広い権利を取得することがでます。すなわち、発明が完成した後、あるいは完成までの途上で、発明の構成要素を広げる試みをすることが、広い権利取得の上で重要です。

(1)物の発明の場合
 
  [1] 有機化合物の発明
(a)基本骨格として、ベンゼン環を当初考えた場合には、ピリジン環やピラン環などの複素環ではどうかと、検討の幅を広げます。
(b)置換基の種類について、ヒドロキシル基を当初考えた場合には、アミノ基ではどうか、他の活性水素含有基ではどうかと、検討の幅を広げます。
また、メチル基を当初考えた場合には、エチル基ではどうか、プロピル基ではどうか、さらに炭素数1~10のアルキル基ではどうかと、置き換え・拡張を検討します。
離脱基としてハロゲンを当初考えた場合には、他の離脱基としてトシル基、メシル基ではどうかと、置き換え・拡張を検討します。
(c)置換基の位置については、1-、2-、3-、o-、m-、p-等を検討する。また、置換基の位置を限定することが必要かどうかについても検討します。
(d)置換基の数についても、例えばフェニル基上に置換基が1個存在する化合物を考えた場合に、その置換基が複数(例えば2個、3個等)存在する化合物ではどうかと検討します。
  
  [2] 組成物の発明
(a)成形体製造用の樹脂組成物の成分について、ポリエチレンを当初考えた場合、ポリプロピレン、ポリブテンでも同様の効果があると、ポリオレフィンに拡張することができます。
(b)塗料用の熱硬化性樹脂組成物について、水酸基含有アクリル樹脂に架橋剤としてのメラミン樹脂を組み合わせることにより、硬度や光沢に優れた塗膜を得られる場合は、例えば、以下のような点をチェックしてみます。
水酸基含有樹脂の種類について
 例えば、水酸基含有アクリル樹脂に代えて、水酸基含有アルキド樹脂、水酸基含有ポリエステル樹脂等を使用した場合に同様の効果が得られるか否か。あるいは、他の新たな効果はどうか。
この場合、樹脂の種類を変えても何らかの効果が得られるのであれば、樹脂の種類を限定することなく、単に「水酸基含有樹脂」とすればよいかも知ません。
メラミン樹脂について
 メラミン樹脂は、水酸基含有アクリル樹脂の架橋剤として作用するものであるから、これ以外の架橋剤、例えばブロックイソシアネートを使用した場合に同様の効果が得られるか否か。
この場合、架橋剤を変えても同様の効果が得られるのであれば、メラミン樹脂に限定することなく、単に「架橋剤」とすればよいかも知れません。
  [3] 合金・無機材料の発明
(a)成分の置換について
TiとNiの2成分からなるTi-Ni合金を当初考えた場合、Niの一部または全部をCu、Co、Cr等の他の成分で置換しても同様の効果が得られるのであれば、チタン系合金と拡張することができます。 この場合、置換できる他の成分が2種類以上併用できるか否かについても検討します。 
(b)結晶形の置換について
立方晶ZrO2からなる焼結体について当初考えた場合、効果との関係において単斜晶ZrO2、正方晶ZrO2の結晶相の混在も許容できれば、立方晶ZrO2を含む焼結体として拡張することを検討します。
(c)組成の変更について
99.6%のSnと0.4%のCu成分を含む合金を当初考えた場合、Cu成分が0.2~2%の範囲において同様の効果が得られれば、Sn1-XCuX(0.002≦x≦0.02)合金として拡張することができます。
(d)構造について
結晶粒界にTiFe相が存在する構造をもつチタン系合金を当初考えた場合、結晶粒内にTiFe相が存在する場合にも同様に良好な効果が得られるのであれば、TiFe相を含有するチタン系合金として拡張することがでます。
(e)用途について
新規な構造をもつCu-Mn系合金からなる電流調節用抵抗材料が、他の抵抗材料(発熱体等)としても有用である場合には、その合金を用途ではなくその特性で限定してCu-Mn系合金からなる高抵抗材料として拡張することがでます。
(f)形態について
新規な組成をもつAl系合金焼結成形体を当初考えた場合、この合金の他の形態(粉末等)についての権利取得も望むのであれば、成形体としての限定を外してAl系合金焼結材料と拡張することを検討します。
 
(2)方法の発明の場合
 
  [1] 製造方法の発明
(a)出発原料について
合成反応の出発原料についてベンゼンを当初考えた場合、トルエンでも可能だと、アルキル基で置換されていてもよいベンゼンに拡張することを検討します。さらに、安息香酸、メトキシベンゼン、クロロベンゼンでも可能性があることがわかると、置換されていてもよいベンゼンに拡張することを検討します。
(b)処理手段について
溶媒としてメタノールが使用できる場合には、エタノール、プロパノールに置き換えることができる場合が多いです。さらに発展させて、他のアルコールに置き換えることはできないか検討します。他の極性溶媒についても検討し、同様の効果が得られれば、極性溶媒にまで拡張することができます。
化合物ABCを製造する方法において、反応順序として、AとBとを反応させてABを得て、このABとCとを反応させてABCを得る方法(A-1)を見つけた場合、BとCとを反応させてBCを得て、このBCとAとを反応させてABCを得る方法(A-2)に置き換えることが可能かどうかについて検討します。
(A-1)  A+B→AB  AB+C→ABC
(A-2)  B+C→BC  BC+A→ABC

酸化手段について、大気中での酸化を当初考えた場合、酸化剤(過酸化物、オゾン、酸素)の添加、電解酸化等に置き換えることが可能かどうかについて検討します。
硬化手段について、加熱を当初考えた場合、光(紫外線)の照射、乾燥、硬化剤の添加等に置き換えることが可能かどうかについて検討します。
  [2] 製造方法以外の方法の発明
  不安定な化合物Xを保存する方法について、ヘリウムガス中で保存するのが有効なことを見つけた場合、他の希ガス中ではどうかについて検討します。さらに、窒素ガス中での可能性についても検討します。同様の効果が得られれば、非酸化性雰囲気中にまで拡張することができます。


Last Update: April 27, 2021

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